柳生博さんが2022年4月16日、老衰のため、山梨県北杜市の自宅で死去されたと次男の柳生宗助さんより柳生さんがオーナーをされていた八ヶ岳倶楽部のFacebookより訃報が伝えられました。老衰による85歳でした。
柳生さんは1981年から1993年までの12年間続いた人気番組『100万円クイズハンター』での司会も務め、「ハンターチャンス」の決め台詞でお茶の間に親しまれておりました。大泉洋さんもよく物まねをやってましたね。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
今回公表されました次男の柳生宗助さん。柳生博さんがオーナーを務めていた八ヶ岳倶楽部や柳生さんのご家族について調べてみました。
皆様もお付き合いください。
八ヶ岳倶楽部とは?
八ヶ岳倶楽部は1989年年に山梨県北杜市大泉町でパブリックスペースとしてギャラリー・レストラン八ヶ岳倶楽部を開設しております。
八ヶ岳倶楽部の公式ホームーページによると。
柳生博さんはこの一人旅は、柳生家のしきたりである「男子は12歳になったら一人旅をさせる」というものに基づいて中学生の時に一人旅をし八ヶ岳倶楽部のある大泉村西沢を訪れたのが原体験となり八ヶ岳倶楽部を開設したきっかけになったそうです。
建物、雑木林、囲炉裏、枕木を利用した散策路などの設計、作庭は、柳生博さんとご長男真吾さんや他ご家族の手により大切に植えられ育てられたそうです。
緑あふれる豊かなパブリックスペースとして親しまれ、柳生博さん自身もたびたび時間があるときには八ヶ岳倶楽部のレストランによく顔を出し、談笑する姿が見られたそうです。
ご家族は?
柳生博さんのご家族ですが、
奥様は女優の二階堂有希子さん。
息子さんはお二人で長男は柳生真吾さん。次男は柳生宗助さんの4人家族でした。
二階堂有希子さんは現在81歳、テレビドラマの女優や声優(ルパン三世1stシリーズの峰不二子を担当!)活躍し、博さんと結婚後に次男の宗助さんが生まれたと同時に芸能界を引退。
八ヶ岳倶楽部の運営に携わりました。2013年に認知症を発症後は、特別養護老人ホームに現在入所しております。
長男の柳生真吾さんはタレント、園芸家でもあり、八ヶ岳倶楽部の代表取締役を務めておりましたが、2015年に咽頭がんにより47歳の若さで亡くなっております。
父として博さんは真吾さんの死に「親不孝だよね…早すぎる」と深く悲しみ悼んだそうです。
次男の宗助さんによると、晩年の柳生博さんは八ヶ岳俱楽部で囲まれながら穏やかな最期をすごされたと伝えております。きっと長男真吾さんの植えられた木々などや思い出を多く感じたのではないかと思います。
次男の柳生宗助さんは、長男真吾さんが務めていた八ヶ岳倶楽部の後を継ぎ代表取締役に。お兄さんの意志を受け継ぎ八ヶ岳倶楽部の代表取締役として運営されております。
また、八ヶ岳俱楽部以外で、以前勤めていたジボダンジャパン株式会社に復職されているそうです。こちらの会社はフレグランスとフレーバーに特化した、粧品香料、食品香料の製造販売及び輸入販売、ならびに合成香料、化粧品基材、食品関連商品の輸入販売を営んでいるようです。
宗助さんは爆報 THEフライデー!2019年9月に出演
によるテレビ番組放送で八ヶ岳俱楽部の代表取締役となったきっかけについて語っております。
シンガポールで務めていたころ、兄の真吾さんがシンガポールに訪れて、がんによる今後の自分の体のことを理由につたえ、後の八ヶ岳俱楽部の運営を託されたそうです。
まとめ
柳生博さんの晩年過ごされた八ヶ岳倶楽部とご家族について調べてみました。
改めて柳生さんがやられたことは、俳優業だけじゃなくて自然を愛して家族を愛された素敵な方だったのだと調べてみて思いました。
愛した晩年の場所が家族で共に大切に育て、育んだ施設や木々の中で晩年を過ごされたのはとても暖かいものだったのではないかと、ちょっと泣いてしまいました。
あらためてご冥福をお祈りいたします。
八ヶ岳倶楽部もいつか私も行ってみたいと感じました。
今日はこの辺で。