6/7爆報!THE フライデー こまどり姉妹の再ブレイクのきっかけとは?

こんにちはヨシオです。本日は6/7放送の爆報!THE フライデーに出演するこまどり姉妹がなぜ再ブレイクを果たしたのか気になりましたのであたらめて調べてみました。皆さんもご一緒についてきてください。

激動の時代の中で壮絶な生い立ち

こまどり姉妹は、お姉さんの並木栄子さん、妹さんの並木敏子さんは一卵性双生児として1938年2月16日に北海道厚岸郡厚岸町で生まれました。

1938年は昭和13年でして、戦争の激化に向かっている最中に誕生されて、その後激動の中、終戦まで樺太で育っております。

お父さんは炭鉱夫で終戦後帯広市や釧路市の炭坑町を転々とします。生活は極貧を極め、一家離散します。生活の糧に姉妹は門付という、家の前で芸能をして日々の糧を得る生活を始めておりました。

やがて、1951年に上京。父親に連れられ、台東区浅草の飲食街で流しをしていたところコロンビアよりスカウトされデビューします。

流しというのは、飲み屋のお店にいってその場のお客さんのリクエストに応えて歌を歌うサービスのことで1950-60年代にかけて流しは東京だと飲み屋街には必ず営業していたそうです。

1961年紅白歌合戦初出場。先にデビューして活躍していた一卵性双生児のディオであるザ・ピーナッツから“演歌版ザ・ピーナッツ”と呼ばれます。

その後、紅白歌合戦を7年連続出場しております。

しかしながら、1966年に熱狂的なファンに結婚を迫られた末の心中として、姉の栄子さんと間違えて敏子さんが刃物で刺されてしまう事件が起きます。

敏子さんの一命は助かりましたが、その後、父母の死、葉子のガン、葉子の大怪我、栄子の交通事故、ブレーンの脱税問題などの不幸が続き、大きな借金を抱えたまま1973年(昭和48年)に一時芸能界から離れます。

徐々に活動を復活していく

その後1976年(昭和51年)に「思い出のメロディー」へ出演、時折懐メロ番組出演するなど徐々に活動を再開させ、1984年(昭和59年)、久々の新曲「浪花節だよ人生は」で再スタートを切った。2008年(平成20年)には第50回日本レコード大賞で功労賞を受賞。

2013年の12月31日でも『年忘れにっぽんの歌』でも出演されております。

1965年当時の映像がこちらです。素晴らしい歌唱力。ブルースを感じます。

出典:youtubeより

とここまではwikipediaよりの情報でした。

生まれる前から、デビュー後に続く壮絶な生い立ちは経験したことがない人間としてただただ絶句してしまいますが、お二人の生き抜いていくバイタリティにはとても敬服いたします。

現在のこまどり姉妹は

現在でも精力的に歌手活動を活動されているこまどり姉妹。

最近では、有吉反省会に出演し、有吉さんも終始お二人のマイペースぶりに圧倒されて、お二人の三戸ちゃんメイク&コーデを披露しております。

出典:http://news.livedoor.com/article/image_detail/10950892/?img_id=9600065より

このお茶目な一面は番組終了後、77歳から予想を超えたかわいいと反響があり、10代からの認知度があがり近年バラエティでブレイクするきっかけになったようです。若き日のこまどり姉妹もかわいいですが、近年三戸ちゃんメイク。自然でかわいらしいですね。

また2014年にコロンビアよりデビュー50周年として新曲を発表しております。

こまどり姉妹のラーメン渡り鳥

出典:https://www.youtube.com/watch?v=kAuCg9x5_mYより

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回、調べてみて激動の時代に生きて、想像を絶する境遇の中でも、決してあきらめず、バイタリティ溢れた明るい歌声で時代を歩んでいったこまどり姉妹。その時代の記憶に残る歌とともに、バラエティでかざらないお二人の人柄が見る人をほっこりさせて、共感を感じたのではないかなと思いました。

本日放送の爆報!THE フライデーでは、座敷わらしが出没する噂の岩手県の温泉旅館をコマドリ姉妹が徹底調査するそうですが、お二人の天然で新たにほっこりする一面を知れるかもしれませんね。( ´∀` )

本日はこの辺で。それでは!

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