過去のお笑い芸能人の不祥事の謝罪から学ぶこと

NON STYLE(ノンスタイル)

吉本興業所属の石田明井上裕介のお笑いコンビ。2000年に結成されました。
爆笑オンエアバトル第9代目チャンピオン、2008年M-1グランプリ王者の実力があります。
2016年に井上がタクシーと衝突事故を起こし、運転手に2週間の怪我を負わせ当て逃げの不祥事をしてしまいます。
その結果、自動車運転処罰法違反(過失致傷)及びひき逃げにあたる道路交通法違反容疑で書類送検。事件を受け井上は無期限の謹慎に入ります。

相方の石田は即対応し、報道陣を前にと井上にかわって関係各位に謝罪しました。
2017年3月に不起訴処分と同時に井上本人より涙ながららの謝罪会見を行っております。同月に石田が公演した「ノンスタ石田with初恋タローのゴリゴリネタライブ」に井上がサプライズ出演しており芸能活動を再開しております。
この事件後に番組で弟さんがゲストで出演して事件を振り返り涙ながらに語る井上に対し、石田は「泣くくらいやったら色々やってから泣け、だっさいのぅ、おまえ許されるために泣いてるだけやろ、そういうところ嫌いやねん」と激しく叱責します。
事件による影響でテレビ関係者やスポンサーに迷惑をかけてことを知っているうえでの厳しい言葉が相方の愛を感じます。
(ちなみに石田も自粛中に鬱気味で落ち込んでいたららしいですが、スーパービーバーの歌を聞いて勇気づけられたと後にバカリズムで述べておりました。)

アンタッチャブル

人力車所属の山崎弘也柴田英嗣のお笑いコンビ。1994年に結成されました。爆笑オンエアバトル第6代チャンピオン(2003年)、2004年M-1グランプリ王者の経歴があります。
順調に活動していきましたが2010年に柴田の体調不良による理由から1年間の休業を発表。

後に、実は女性関係によるトラブルによる休業だったことをテレビ番組で柴田本人は答えております。

最初に病気って言った後に、浮気が出てきたから、病気で押し切ろうってなった

とのことで女性問題によるトラブルで休業したことをのべております。
2011年に芸能界を復帰しますが、以後アンタッチャブルとしての活動は停止。それぞれピンとしての活動が続きアンタッチャブルとしての活動は完全に休業状態でした。これからというタイミングでしたの山崎の心境はいかばかりだったでしょう。山崎はピンとして、着実に芸能活動でレギュラー枠を広げ、アンタッチャブルとしての活動に関して言葉を濁しておりました。
再びアンタッチャブルとしての活動を行ったのは、昨年2019年のクリームシチュー有田哲平プロデュースし、『全力!脱力タイムズ』で柴田がゲスト出演すると、番組終盤に山崎が突然登場して約10年ぶりにコンビ漫才を演じました。
打ち合わせまったくなしでの昔のネタでの漫才だったそうで、6月12日に日本テレビ系の『アナザースカイ2』に出演した柴田は、相方の山崎弘也さんと漫才をした事を「久しぶりに山崎さんの肩をたたいた時、やっぱ感動しました」と述べております。改めて相方の存在の大切さを感じたのではないでしょうか。

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